国民が貧しく日々の食事にも困っていた為、明治政府は、お米が原料の日本酒や穀物が原料の焼酎は統制を掛けて量を減らし、山で栽培できるぶどうから葡萄酒を造り国民に飲ませようと考えました。そして余る程に生産が可能になったら輸出して外貨を稼ごうと考え、現在の島根県・鳥取県・大阪府・兵庫県・栃木県・宮城県に甲州ぶどうの栽培を命令して広めていきました。他の県には農業試験場からの苗木が分けられたのですが、大阪には何故か東京新宿御苑から今の藤井寺市沢田のぶどう試験園に来て試作されました。明治9年のことです。その後、大消費地に近い大阪の甲州葡萄は品種改良しなくても売れた為、ほぼ原型を残した形で今に続いています。
弊社では醸造専用に栽培しています。そのまま食べてもおいしい葡萄で、近郊の観光農園ではこの葡萄のぶどう狩りもできます。弊社では昭和初期から70年以上栽培しています。
澱を畑に戻しています。左側の1枚目の写真はワインの澱の下の様子です。澱の下は幼虫がたくさんいます。全体的にベトッとした感じに見えますが、まだ乾燥していない澱です。右側はブドウの根を観察する為に掘った際の写真です。場所により土の質も違っています。
ワイナリー見学の際に立ち寄る畑です。南側に70年以上のマスカットベリーAの古木、北側に甲州の古木が生えています。紅葉するときの色が違う為、秋になると「秋の風景」のように真ん中できれいに2色に分かれます。(合名山から撮影)この畑のマスカットベリーAは古木な上、かなりの収量制限をしているので、とても濃い味になります。秋に見学会に来られた方には、普通のベリーAとは全然違う味をお楽しみいただいています。2010年、ここで採れたマスカットベリーAは「利果園」に。甲州は「堅下甲州 上品畑・宮ノ上畑」になりました。